夢の中の黒い門A

その日の内に彼の家に赴いた。
正確には翌日の早朝になるのだが。
ソファーに座り待っていると、部屋着に着替えた彼が僕の隣に座る。
これ、と言って僕に件のドリームキャッチャーを渡してきた。

一見すると、普通のドリームキャッチャーに見える。
手のひらよりひとまわり程大きい物体。
だがその完成度は、ほいほいと人に譲渡するような代物でないことは分かる。

ドリームキャッチャーの通常の形は木で出来た円状の枠にクモの巣の形状を模した網が張られている。
そして、その周りを羽根や石またはビーズで装飾する。
石はターコイズかそれに似せた模造石が一般的だ。
枠の上部には、吊るし用の紐がついている。
現物が見たいのであれば、ドリームキャッチャーの画像検索をすれば簡単に見ることが出来る。

だが、それは少し変わった形をしていた。
おかしい所を挙げるとすれば、その飾りだろう。
羽根ではなく、葉のようなヒラメ状のモノがヒラヒラと垂れ下がる。
葉のような、というのは中心部の支柱から細かい枝が無数に生えているからだ。
飾りに使われている石は紫がかってくすんでいる半透明な石だ。
枠である輪は木ではない素材で出来ている。
白いゴツゴツしたモノが編みこまれるように輪を作っている。
子供のころに女の子が作る草花で作った王冠の作りのようだ。
さらに吊るし用の紐がない。
そして、特筆すべきは網が黒いことだ。
ドリームキャッチャーに詳しいわけではないが、大体は色が白い薄い糸またはヒモが使われている。
しかし、その網は非常に緻密で、シルクのような細い糸が細かく網目を作っている。

一言で言えば、高そう、だ。

これをモエさんにあげた友達も、僕に引き取って欲しいというモエさんももったいないとは思わないのだろうか。

「ちょっと説明するね」

そうモエさんは言い、僕に語り始めた。

友達からこれだけは守るように言われたんだけど。
あのね、これは吊るして使うものじゃないんだ。
これは枕の下に入れて使うんだって。
わたしもそれ聞いて壊れないか心配したけど、結構丈夫だから安心して。
それで、絶対に守らなきゃいけないのが、太陽と月の光に当てないことなんだって。
枕の下にあるなら当たるわけないんだけど、これは絶対守って欲しいことだってさ。
それで夢を見るから一週間頑張れだってさ。

そういう使い方もあるのだろう。
僕はむしろ説明が簡単であることに安堵した。
長々続くようでは僕のハードディスクでは覚えきれない。

枕の下に置いて寝る。
太陽光・月光に当てない。
これだけだ。

説明が終わり、僕に渡し終わると安心した表情のモエさんは僕を誘惑してきた。

もちろん、僕にはそっちの気はない。
早々にその部屋を後にした。



太陽が眩しい時間。
僕にとっては就寝時間だ。
枕の下に置き、期待も不安も無く眠りについた。



昔、母親と一緒に上野に遊びに行った。
動物園は僕にとって最も行きたくない場所の一つだ。
動物が嫌いなわけではない。
あの匂いがダメなのだ。
夏の暑い時期に行ったのも問題があったようだ。
とにかく僕は初めての動物園で二度と行きたくなくなってしまった。

そして今。
あの匂いが僕を包んだ。
嫌な気分だ。

目の前にある見上げるような大きさの門。

Per me si va ne la città dolente
per me si va ne letterno dolore
per me si va tra la perduta gente.

Giustizia mosse il mio alto fattore
fecemi la divina podestate
la somma sapïenza e l primo amore.

Dinanzi a me non fuor cose create
se non etterne e io etterno duro.
Lasciate ogne speranza voi chintrate

門にはそう刻まれてあった。

はっきり言ってさっぱり意味が分からない。
日本語でも英語でもないことぐらいが辛うじて分かる程度だ。
パル? メ シ バ ネ ラ?
何だか良く分からない文章を読むことほど苦痛なことは無い。
当然のように無視した。

真っ黒な巨大な門は細かい彫刻がいくつもあり、手の込んだものと一目で分かるものだ。
だが、周りにはその門以外には何も見当たらない。
文字通り、何もだ。
周りは白い空間が延々と広がり、その黒い門の存在感が際立つ。
門というのは通常は入り口か出口であるはずだから、その入り口たる建物があってしかるべきだ。
白い空間にぽつんとその大きな門以外は、ない。
してはいけないことだが、僕は裏手に周り込んだ。
どうやら裏表がないらしい。
例の長い文章が刻まれ、先ほどまで見ていた光景と全く同じものがそこにはあった。

さて、どうやって開けるか。

試しにその門を思い切り押してみた。
意外なことにその門は見た目と違い、非常に軽い音を立てて、簡単に開いた。



ピリピリとアラーム音が鳴る。
携帯を掴み、停止ボタンを押す。
携帯電話を目覚まし時計にしている人は多いだろう。
僕もその一人だ。
今まで見たものは間違いなくモエさんの言っていた悪夢なのだろう。
珍しいことではないが、夢を見ているときにそれには気付かなかった。
あの現実感は脳が夢を見ている証拠にもなる。
起きて初めて夢を見ていたことに気付かされた。
早速モエさんにメールを送り、先ほどまで見ていた夢の内容と共に感想を言った。

次は歩く夢か。
そう考えながら、バイトに行く準備を始めた。



その日眠りに着こうとすると、バイトを斡旋してくれた先輩に食事に誘われた。
先輩に誘われるということは、それは決定事項に等しい。
選択肢は、はい又はイエスのみ。
徹夜で飲み明かし、しかも財布をなくすという不幸に会った。
僕は次の日に一睡も出来ないままバイトに行くと言う苦行を行う羽目にもなった。
慣れているからどうと言うこともないが、眠くて仕方が無い。



巨大な門が後ろにある。
ああそういえばさっき門を開けたな、と一人ごちる。
前には道が続いていた。
たしか裏手に周った時は裏面がなかったはずだが、今は目の前に道が広がっている。
幅十メートル程の広い道だが、橋と言ってもいいだろう。
その道幅の両端には暗闇があり、道ということが分かる。
もし後ろに門が無ければどちらが進行方向かすら分からない。
それほど何もない道が続いていた。

前に進まなくてはならないという不思議な義務感が僕を包む。
門とは逆方向に歩き始めた。

先が続き、道の終わりが見えない。
ただ道の外側は深い深い闇が広がっているのが分かる。
これに落ちたら助からないだろうな、と想像する。
ただ黙々と歩き続ける。
終わりが無い。
時間感覚も無い。
さっき歩き始めたばかりのような気もするが、何日も歩いているような気もする。
終わりの無い恐怖か。
確かにぞっとする。
足を踏み出すのを躊躇する。
歩き続けるのが怖い。



ピリピリとアラーム音が鳴る。
あれ? ここは?
僕は自分が今起きたことに気がついた。
だが場所はベッドの上ではない。
何故か公園のベンチの上で寝ていた。
バイトの帰りに力尽きて仮眠をしたのだろうか。
覚えていない。
何時間寝ていたのか検討もつかないが、アラームが鳴っているならばそろそろ行く準備をしなければならないのだろう。

そういえば一週間連続で見るんだよな、この夢は。
面倒な夢だな。
面倒なことは嫌いだ。
歩くことが怖いという意味も分かった。
確かに一週間もあの夢を見たくない。
僕の中で黒い行動原理が働き始める。

家に帰り、枕の下にあるドリームキャッチャーをゴミ袋に入れて、捨てた。
お客様からのプレゼントを捨てるなど、言語道断だ。
だがこれは譲ってもらったものだからプレゼントじゃない。
僕はそう自分に言い聞かせ、罪悪感も一緒に捨てる努力をした。



次の日にはモエさんが言ったことは正しかったということが分かった。
捨てたところで、それは戻ってきていた。
正確には枕の下にあるのに気付いた。
何故か外で起きて、家に帰り、ベッドで寝る。
起きたらまた別の場所。
家に帰り、枕をめくるとそこにはドリームキャッチャーがあるのだ。




またも僕は歩き続けた。
依然として道に終わりは見えない。
一歩一歩が恐怖に変換される。
歩きたくない。
だが歩かないといけないという強い気持ちが働き、足を止めることはできない。



ピリピリとアラーム音が鳴る。
またか。
今度はクルマの中にいた。
初日以外はいつも起きる場所はベッドではない。
一体どういうことなんだろう。
今回は確かにベッドの中で寝たはずだ。
気付いたら、クルマの中。
モエさんにメールを送る。
返事は返ってこない。



最早作業と化した一日を無難にこなす。
アルバイトに労働基準法が立法趣旨通りに適用されることは少ない。
僕は週七日毎日働いている。
はっきり言って、こんなペースでは体が持たないだろう。
後に、予想通り僕は体を壊してしまう。
今となっては後悔している。
だが当時の僕は全く根拠の無い自信と、生活費のための必要性があった。



歩き続けると五日程前に見た巨大な門があった。
あの意味不明な文字が羅列してある黒い門だ。
ここが終点ってことか。

入った時と同じように門を開け、中に入る。
今度は階段。
下に向かって階段が伸びていた。
例によって終わりが見えない。
疲労はない。
下り続ける。
依然として恐怖感がある。
この恐怖感の源泉が分からない。
ただ何となく怖いというものだ。
そして、それがとてつもなく怖いだけだ。

一体何段の階段を踏みしめたのだろう。
時間の基準となるものはない。

だが遂に終わりが見えた。

巨大な円形のホールに辿り着く。
そこの中心にテーブルと椅子がある。

テーブルの正面には女が座っている。
女は薄い布を羽織っている。
髪が長く、体形から女と称するが、正直人間とは思えない。
そして顔がない。
あるべきパーツが一つも無い。
白と灰色に紫を少し足すとあんな血の気の無い顔色が出来るんだろう。

足を進ませる度に訪れた恐怖は、目の前の女にコンバートしたようだ。
この女を見るのは苦痛を感じるほど怖い。
異常な恐怖感。
ドーパミンが頭の中で沸騰し、ノルアドレナリンが全速で体中を駆け巡っているのが分かる。

席に着くと、女は身を出して僕にグラスを差し出す。
グラスを持つ手には爪が無い。
腕では血管らしきものが皮膚の下でのた打ち回っている。
千匹のミミズを細長い風船に入れるとあんな感じになるのだろうか。

夢の中の黒い門Bへ続く
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