夢の中の黒い門B

顔の無いのっぺりとした丸い部分の中央がミチミチと音を立てて裂ける。
口なのか?
赤黒い泡をブクブクと出しながらその裂け目から音を出した。

「……どウぞ」

声が響く。
彼女は一杯のグラスに注がれたモノを勧める。
何故かそのグラスにすら恐怖を感じる。
理由は分からないが怖い。
だが、勧めを断るのも怖い。
目の前の女を見るだけでも怖い。
ここに居たくない。
グラスを手に取るかどうか悩む。



ピリピリとアラーム音が鳴る。
起きて愕然とする。
僕の今の状態だ。

後二日で終わってくれるのだろうか。
夢の内容からして幸せになれるとはとても思えない。
恐怖心が頭に纏わりつく。
ただ飲み物を勧められただけに過ぎないが、それが恐ろしい。
単に道を歩き、階段を上り、そして席に着く。
何が怖いのかが分からない。
だが確実に恐怖が僕を支配する。
動悸が治まらない。
今の夢は見てはいけないものだという後悔。

怖さは具体的に二種類あった。
一つはカオス過ぎる夢の展開に、先が読めないという状況からくるもの。
このままどうなってしまうのかと言う恐怖。
それに抗えない恐怖。

そしてもう一つは、夢から起きた時の恐怖。

何故僕は今、ビルの屋上にいるのだ。

フェンスに足をかけているのだ。

起きるのがあと少し遅かったら……。
もうあの夢を見たくない。



僕は椅子に座っている。
目の前の女からしきりにグラスを勧められているのだ。
――先ほどからずっと。
いつからだっけ。

考えた末にグラスを取り、一気にあおった。
腹の底から叫びたいほどの恐怖心が全身を駆け巡るが、僕は席を立つことも拒否することも出来ない。

――美味しいなこれ。
美味しい?
どういう仕掛けかは分からないが、目の前に料理が現れる。
体は拒否反応を示すが、言うことをきかない。

もっと飲みたい、食べたい。
――何を考えているんだ?
――僕は一体?

目の前には肉。
白い大きな皿に盛られたステーキ用の肉がある。
――何故? そんな物食べてる場合じゃない!

ジュウジュウと肉の焼ける匂いが食欲を刺激する。
――臭い、あの動物園のニオイだ。

あり合せのポテトやニンジンはない。
――席を立たなくては。

僕はあの妙に甘いニンジンは嫌いなので、嬉しく感じている。
――ここから逃げ出さないと。
――僕に自由意志がないことも自覚する。

お腹すいた。
――僕の体は僕の意思に反して、動き出す。
――徐々に意識も薄れ、混濁してくる。

ニンジンは嫌い。
――この展開は何なのだという恐怖。
――相反する思考が駆け巡る。
――どうして料理が出てくるのか。

飲み物はワインかな。
――女が何者で、僕をどうしようというのか。

ステーキ食べたい。
――僕が僕でなくなっている。
――何を考えていたのか、何を考えているのか分からない。

ああ、美味しそうだ。
もう食べてもいいのかな。
――食べちゃダメだ。

さあ食べようというときにテーブルを挟んで同席している女が口を開く。


「ゴ ハん食 ベテも い イよ。代ヮ りにち ょう ダい、首」


僕はそういうものかと思い、ステーキ用のナイフを掴む。
――嫌だ。

そして自分の首にゆっくり押し当てる。
――やめろ、何やってるんだ。

切味の悪いナイフは中々進んでいかない。
力を込めるが皮膚に傷がつく程度だ。

早くステーキたべたい。


「前 後 ニ 引かナきゃ、ノ コギリみタ い に。ギ こぎ コギ こぎコギコキ ゛ コ」


それはそうだ。

その言葉に納得し、力を込め前後に動かすと、刃が食い込んだ。

肉を切る感触が手に伝わろうとする。



誰かが叫ぶ声がする。

目が覚めると駅のホームだった。

地面が目の前にある。
苦しい。

駅員が僕を押さえつけている。

「何やってるんですか!!?? 危ないですよ!!!」

押さえつけられて、目の前に電車が走り抜けていることに気がつく。

……危うく轢かれるところだった。



「また訳わかんねえ話持ってきたなぁ」

先輩は夢の内容を否定する。
僕だって分からない。
だが怖いのだ。
恐怖に駆られた僕は先輩に助けを求めた。
案の定先輩は否定的な意見だ。

僕が持ってきたドリームキャッチャーをいじくり回しながら、悪態をつく。
意識的に連続した夢を見るのは、意識的に心臓を止めるのと一緒で不可能だ、と。
フロイトに言わせれば性欲、ユングならコンプレックス。
好きなほうを選べ。
それがお前の夢の正体だ。

先輩はいつでも手厳しい。

「信じていないんなら、このドリームキャッチャー貰って下さいよ」

「いいのか? 結構高そうだけど」

「いいですよ、貰ってくれるんですか!?」

「病気以外なら何でもウエルカムだ、俺は」

笑いながらカバンにそれをしまう。

あらかたの説明をした後に、くれぐれも気をつけてください、と先輩に言った。

先輩は、分かった分かった、と少しも分かっていない返事をした。



先輩と別れた後、モエさんに電話をした。
僕はこの件は降りるということをはっきり伝えるためだ。
ドリームキャッチャーを返してくれと言われるかもしれないことは考えていなかった。
正直に言うべきかどうか。

だが、それは電話越しに声が聞こえた時点で杞憂に終わった。

『お客様のお掛けになった電話番号は――』

機械的な返事が聞こえたあと、彼にゴミ箱代わりに使われたことを、僕は理解した。
きっと彼もあれを使うことよりも、処分したかったのだろう。

気持ちは分かる。
僕だって同じことを先輩にしたのだ。



ベッドの上で目が覚めたのは一週間ぶりだ。
あのまま最終日を迎えていたら、僕はどうなっていたのだろうか。
確かめたくも無いが。

先輩が気になったので、早速電話をする。

「おお、今掛けようとしてたんだわ。見たぞ、夢。すげえな、どうなってんだ」

先輩は上機嫌だ。
興奮しているとも浮かれている風とも聞こえる。
外にいるのか、クルマや雑音が聞こえた。

「黒い大きい門出ましたか?」

「おお。ロダンか、洒落てんなぁ。いいモン見れたわ。あ、いい門か」

「え? なんて書いてあったか分かったんですか?」

「はぁ? ……教えてやらん。ホントに学生かお前? パンキョーだ、パンキョウ」

「勘弁してくださいよ。僕もう少しで死に掛けたんですよ」

「あのなあ、端折るけど、悪いことしたのはお前の方だ」

「え? だって僕、殺されかけたんですよ?」

「住居不法侵入だ。警告文がガッツリ書いてあったんだよ」

夢の世界で不法行為も無いものだと思うが。
大体、僕は英語の単位を去年落とした。
日本語だって怪しい僕が、英語以外の言語を理解できるわけが無い。

「何言ってるんですか? 先輩も入ったんでしょ?」

「入るわけねえだろ。周りウロウロして、しばらくしたら起きたわ」

何と。
単純なことを見落としていた。
それが答えだったのだ。
目から鱗とはこのことだ。

そんなことよりも、と先輩は続けた。

「このドリームキャッチャーの網、何か分かるか?」

「知りませんよ」

「髪の毛。枠は骨だな」

「はぁ!?」

「薄気味悪いもの作るよなあ。まあ、もうどうでもいいけど」

「いや、先輩。それ捨てても戻ってきますよ? どうするんですか?」

「月と太陽に当てちゃいけないんだろ?」

「はい。絶対ダメらしいです」

先輩はわははと豪快に笑う。
電話越しで笑わないで下さい、耳が痛いです。
絶対ダメなのかあ困ったなあ、と先輩は言ってこう続けた。


「今俺はコイツと日光浴中です。あ、石にヒビはいった。うは、煙出てきた。何だコレくっさぁ。野良犬みたいなニオイがするぞ」



簡単なことだったのだ。
危険に飛び込まなければいい。
門に入らなければ夢から覚めて、おかしなことは起きない。

絶対やってはいけないことを、やればいい。
先輩のことだ、念入りに月光浴もさせたのだろう。
とんちみたいな答えだった。

僕があの夢を見始めてから先輩に渡すまでは六日間。
残り一日で先輩にバトンタッチ出来た。
もう一日経っていたらどうなっていたのだろう。
あの顔の無い女は僕をどうしていたのだろう。

恐らく僕の想像は当たっている。
新聞の片隅に僕の名前が載っておしまいだ。
自殺者など日本には年で三万二千人以上いる。
ざっと考えても一日で九〇人近くだ。
九〇分の一にならなかった事を今は喜ぶとしよう。



その後、少なくとも先輩や僕が悪夢にうなされるようなことは無くなった。
あの門の文字、長く続く道に下に続く階段、のっぺらぼうの女。
先輩は、本を読めそうすれば大体見当がつくぞ、と言って僕を突き放した。
……実は未だに僕はその本を読んでいない。

だが先輩はそんな謎などに初めから興味が無かったのだ。
最短ルートで攻略してしまった。
初めから幸福になりたいと思わない人間に幸福になれるアイテムなど必要ないのだ。

全くバチ当たりだな、先輩は。
僕は感謝と共にそう呟いた。
怖いサイト.com
ベストヒットナビ
感想・雑談はコチラ
もっと探す@AB
[戻る]
- mono space -