寮とリンスと私@

お線香の匂いが漂う。
線香の本来の役割。

それを思い出すと、今でもぞっとする。



私は入学と同時に寮に入った。
入学と言っても予備校だから、正確には入校だ。

有名大学を受けるという名目で地方から上京。
正直、単に地方の大学に行きたくないという小さなプライドがあっただけ。
実際のところ難関を突破する努力や頭があるわけではない。

親はこんな私の邪な願いを額面通り受け取ってくれた。

何にせよ、寮とはいえ初めての一人暮らし。
私は一年後もしない内に再び来る受験という名の戦争を、しばしの間忘れることが出来た。



ドアのチャイムを鳴らす。
ご近所付き合いは気をつけても気をつけ過ぎることはない。
母から耳にタコが出来るほどそう言われて始まった生活。
部屋の片づけが終わり、次にすることはそうだと決めた。
隣の部屋の人、友達になってくれると良いけど。

「は〜い」

中から出てきたのは目を背けたくなるほど露出の高い服を着た人だった。
一月前まで田舎の純情女子高生(笑)だった私には刺激が強すぎる。

「あ、あの! 昨日隣に越してきた者です。つまらない物ですがこれお近づきのシルシに!」

何とか練習してきた言葉を搾り出す。

「あは。新しい人? うふふ。ありがとう。クッキーかな?」

「はい。私が作ったものです。お口に合うかどうか分かりませんけど――」

「ありがとうね。あ、じゃあ丁度いいからお茶しようよ、入って入って」

その人の強引さに負けて私は部屋の中に入った。
どうしよう。
まだもう一部屋の隣に挨拶すんでいないのに。

お互いの情報交換とそれに関連する雑談。
比率に直すと、1:9くらいだろうか。
もちろん9が雑談だ。

初顔合わせで何故かリンスとコンディショナーの違いについて詳しく説明してくれた。
私の髪にけちをつけているのではないかと疑った。
しかしながら、いや、恥ずかしながらと言うべきだけど、私はそのときまでリンスとコンディショナーの違いを知らなかった。

彼女の第一印象はエロ下着とリンスの話だ。
流石にエロ下着という名称は避けたいのでリンスと彼女を呼ぶことにする。
今年で二浪目だという。
これから聞くにはあまり幸先のよろしい話じゃない。

「あ、もうこんな時間。ねえご飯食べに行こうよ」

何時間も話し込み、私たちは友達となった。
……勉強の話はほとんど出ていない。
彼女が二度も浪人する理由を垣間見た。

意外にも初めてのお酒は美味しかった。
年齢を考えるのはこの際忘れて欲しい。
彼女と共に行動すると、大人の階段を上っているはずなのだが、何故か人生の階段を下っている気がするのは気のせいであって欲しい。



ドタドタいう音で目が覚める。
またリンスちゃんがダンスの練習をしているのだろう。
最近毎日のように、彼女はダンスの話をする。
やるならせめてそういう教室に通って欲しい。
だが披露するのは私が行くのを頑なに拒む「クラブ」らしい。
「ラ」にアクセントを付けて発音する場所だ。
ダンスだけが目的じゃないことも言っておく、念のため。

ああ、頭が痛い。
二日酔いにシジミ汁が効くということも学んでしまったダメ浪人生の姿がそこにあった。

彼女と知り合ってから既に三ヶ月以上もの日にちが経っていた。
今ではお互いの部屋を行き交う事にほとんど躊躇がない。
リンスちゃんは見た目の通り、男をとっかえひっかえだった。
夜中に甲高い声が聞こえた時の気まずさを言い表すことは難しい。
強調しよう。
ここは女子寮。
一体どうやって男が入り込んでくるのか。
そんな疑問を持つことすら忘れる。

「男ってホント単純だよ」

ケラケラ笑いながら話すリンスちゃん。
どちらが遊ばれているのかを議論するつもりはない。
私はどっちもどっちだと思う。
汚らわしいと思うほど純情ではない。
清いと思うほど達観しているわけでもない。

男の人は怖いという田舎の常識を根底から覆す都会の常識。
金持ちはヘンタイが多い。
真面目そうな人ほどヘンタイが多い。
チャラチャラしている男はヘンタイが多い。
ほとんどの男はヘンタイだ。
することをすれば男はみんな紳士になるか冷たくなる。
ほとんどの男は冷たくなる。

全て彼女の受け売りだ、ハズカシイことに。



予備校にも何とか慣れてきて、クラスの人や先生方も一通り覚えた。
そろそろ真夏になる季節のことだった。

夏期講習を何故別個請求するのか。
予備校生はお金がない。
親にお金の無心をすることの心苦しさを分かって欲しい。

「おはよお」

予備校に対する不信感を一人募らせていると、後ろから間の抜けた声を掛けられた。
昨晩も夜遅くまで大変だったね、という嫌味を限界まで堪えて挨拶を返す。

「おはよ。今日も暑いね」

「うん。ねえ最近ユウちゃんの隣の人見た?」

「私の隣? ああ、結局リンスちゃんのおかげで挨拶いけなかった人でしょ? うーん、そういえば見ないね」

「ひっど。私は最初の頃、ゴミ捨て場で会って、その時にちょっと挨拶したよ」

「抜け駆けかよぉ。浮気モノ」

「ゴメンごめん。じゃあ彼氏の家にでも泊まってるのかなあ?」

「え? お隣さん彼氏いたの?」

「何回か見たことあるよ。って言っても、寮の入り口でチチクリあってるの見た程度だけど」

「チチクリあうっていつの時代の人間だよ」

あはは、とお互い笑い合う。
彼女は楽しそうだが、私の心は複雑だ。
彼氏もち二人に挟まれた部屋の住人の私。
情けない。



夏の気温は私のお弁当を苛める。
蓋を開けると嫌な臭いが鼻につく。
やっぱり魚介類をメインにしたのは失敗だったかあ。
ああ、こんな日に限って夜まで授業があるんだよね。

「ねえ、何か臭くない?」

聞こえてるよ。
ごめんなさい、私のお弁当です。
明日はサンドイッチにするからこっち見ないでお願い。

帰り道、通行人の見る目が私を責めているように見える。
恥ずかしい気持ちになりながら寮に帰る。
部屋の中ではリンスちゃんが既に出来上がっていた。

「おかえり〜」

「ただいま、今日は色々疲れたよ」

「おつかれさま。ねえ、何か臭わない?」

お前もか、ブルータス。

「ホントごめん。すぐに洗うから」

「え? この臭いユウちゃんのせいなの?」

「もう責めないで。お願い」

お弁当箱を真っ先に取り出し、中身を生ゴミ入れにいれて更に水で流す。
むせ返るような酷い臭いが部屋に充満する。
窓を開け、換気扇をつける。
虫が最も多くなるこの季節。
何匹か蛍光灯に誘われ迷い込むが、そんなことに構ってられない。

「くさいくさい!」

リンスちゃんは楽しそうだ。
私は泣きそうだ。

昔、父が酷く臭いと思っていた時期があった。
今、父の気持ちが痛いほど分かる。
お父さんごめんなさい。
私は人の痛みが分かる子になりました。

完全に臭いが取れたのを確認する。
あとはこの残り香がなくなるのを待てばいい。
お弁当一つでここまで酷い臭いがあるとは想像もしなかった。



次の日の朝になっても臭いはなくならなかった。
体中に臭いが染み付いている気がして、シャワーを浴びる。

「おはよお。まだちょっと臭うね。これはしばらく残るかも」

リンスちゃんは廊下で会うとそういってのけた。
当事者の気持ちも知らないくせに。



すっかり気が滅入っていた私は、夜になってもクサクサしていた。
出来るだけ自炊をするという当初のルールを破り、外食することにした。

リンスちゃんと一緒に近くのパスタ専門店で夕食を済ませる。
お箸で食べるということを売りにしたそのお店は繁盛していたようで、食べるまでに時間が掛かった。
帰りは夜遅くになった。
門限?
門限は破るためにある。
これもリンスちゃんの受け売りだ。

入り口のところに誰かが立っている。
真夜中に必要な警戒心が働く。
だけど、その人を確認すると意味もない警戒だと理解した。
ああ、お隣さんか。

「リンスちゃんお隣さんがいるよ」

「あ〜、ホントだ。お〜い!」

「やめて、今何時だと思ってるの?」

「ユウちゃんの方がうるさーい」

リンスちゃんの口を塞ぎ、お隣さんに会釈をして早々に立ち去る。
ワイン飲ませたばっかりに恥をかいた。

「…………でしょ」

お隣さんが何か言っていたが、それよりも近所迷惑なこの物体を早く部屋に押し込めたかった。




「ねえ、ユウちゃん。まだ何か臭う気がしない?」

そういえば、まだ臭いがする気がする。
もういい加減取れてもいいはずなのに。
臭いというのは不思議なものでしばらくすると慣れてしまう。
私が気付かないのもムリはない。
だけど、すれ違う人にそう思われていると思うとぞっとする。

その日、珍しくリンスちゃんと一緒に帰路についていた。
リンスちゃんの昼間の活動は謎だ。
志望校と学部が違うため、学校ではほとんど顔を合わさないが、学校に行っている気配も見られない。

「あ、お隣さんだよ」

リンスちゃんの指差す先には私の部屋のお隣さんがいた。

「こんばんは。もう学校終わったの?」

「…………」

無視。
ああ、確かにこの子の隣にいると遊んでいるように見えるかもね。
私の住んでいた田舎では「けばけばしい服装=遊んでいる=悪」という等式がまるで法律であるかのように蔓延していた。
でも無視は酷い。
会釈をして、私たちは横を通り過ぎた。

「…………るんでしょ」

また何か言っていたが聞き取るには距離が開きすぎていた。



ドンドン扉を叩く音がする。
リンスちゃんだ。

「ねえ、彼氏に嫌われたかも!? さっき私の部屋に来たら何か臭いって言われたんだけど」

あまりにも酷い。
あまりにも酷いが噴出してしまった。
どうだ、臭いといわれる気持ちが分かったか。

「笑い事じゃないよ! これだから男ってのは信用できないのよね!」

彼氏に悪いと思っているのか、それとも腹を立てているのか。
彼女の感情はカメレオンのようだ。
くるくるくるくる色が変わる。

寮とリンスと私Aへ続く
怖いサイト.com
ベストヒットナビ
感想・雑談はコチラ
もっと探す@AB
[戻る]
- mono space -