寮とリンスと私A

換気のために窓を開ける。
最近やたらと虫が増えてきた。
暖かくなると、私の大嫌いな虫たちも元気になる。
だけどこの際、蚊でもコバエでも入ってきてくれて構わない。
下を見ると、お隣さんはまだ一人立っていた。



再び別の日の夜。
寮の前にまた誰かいる。
またお隣さんかと思ったが、どうやら男の人のようだ。
警戒のレベルを上げる。
管理人さんは何をやっているのか。
その人の横を通り過ぎようとすると、あのぉ、と声を掛けられた。
怖い。
リンスちゃんでも誰でも良いから助けて。

「あの、すみません。えっと、302号室のAってご存知ですか?」

「Aさんですか? あの、その――」

自分の自意識過剰さに顔が赤くなる。
痴漢と思ってしまったことをこの際謝りたい。
彼は私の部屋の隣人に用事があったのだ。

「えっと、俺、いや僕はAと付き合ってるんですけど。……付き合っていたんですけど」

話を遮るように、携帯が鳴る。
リンスちゃんからだ。
ごめんなさい、と断り通話状態にする。
お隣さんに用事がある男の人が来ているという事情を説明する。
リンスちゃんが三階の部屋から手を振りながら顔を出す。

「ねえ、声、響いてるよ。管理人さんにばれる前に部屋に上がってもらおうよ」

リンスちゃんの誘導で建物の裏から中に入る。
ゴミ捨て場の入り口から中に入っていたのか、歴代のリンスちゃんの彼氏たちは。
妙なところで納得をした。



お隣さんの部屋のチャイムを鳴らしても、返事は返ってこない。
電気もついていないようだ。
まだ帰っていないのだろう。

リンスちゃんの部屋で待機という流れになった。
恋愛問題がアフガンの紛争問題よりも重要な私たち十代の乙女(笑)はさっそく尋問を始めた。
体の良い事情聴取。
いや、人の恋愛に首を突っ込みたがる女子の習性と言っても良い。
彼の説明によると、彼女と連絡が取れなくなって心配したからだという。

「こっちから別れ話切り出してから音信不通になって。話したいこともあるのに……」

「振ったんなら何でそこまで心配するの? 他人でしょもう。傷を広げるだけだよ! そっとしておいてあげなよ」

リンスちゃんは酷いことを言う。
だけど、そういう風に言いたい気持ちも分かる。

「いえ、その……」

彼氏君は非常に居心地悪そうだ。
目線がキョロキョロ定まらない。

「言いたいことはバシッと言って、ウジウジしないで!」

「えっと……」

リンスちゃん、と私は彼女をたしなめるために声を掛ける。
これでは心配した彼氏が悪い人みたいではないか。
別れたとしても、人間の関係はそんなに簡単に切れないものなんだよ。
良い人じゃないの。
連絡取れないからって心配してわざわざ来たんだよ?

「さ、彼氏君。ゆっくりで良いから、話して、ね?」

彼氏君は私の「優しい」言葉に後押しされたのか、おどおどした態度を改めた。
ふふん、私だって女子力くらい持っているのだ。
彼氏君はこう言い切った。

「はい。彼女が妊娠したんで中絶費用のことで話さなきゃ、と」

「サイテーだ、アンタ」

「最低だ、彼氏君」

前言撤回。
最低だ、この男。

それからの展開は私たちのお説教タイムだった。
傍観者であるはずの私たちにそこまで言う権利はないのだろうが、私たちは興奮していた。
一通り彼氏君をこき下ろした後、さらに彼氏君が言った一言がリンスちゃんを激昂させた。

「何か、臭くないですか?」

その部屋の主であるリンスちゃんの怒りたるや半端なものではなかった。
血管が切れてしまうのではないかというくらいの怒り。

しかし、却って私は冷静になることが出来た。
なぜならリンスちゃんの怒り方がヒステリック過ぎてちょっとだけ滑稽に見えたからだ。
そしてその疑問は私もずっと感じていたからだ。

「ちょっと落ち着いて、リンスちゃん。ねえ彼氏君、その臭い、いつからそう思ってた?」

「え? 最初にゴミ捨て場みたいな所を通って感じました」

「その後は?」

「三階に着いてからまた臭いがきつくて、この部屋はまだマシかな?」

まだマシって何よ!
リンスちゃんは怒りが止められないらしい。
どうどう。

「ねえ、私たち鼻が慣れちゃって良く分からないの。どこが一番臭ってたの?」

「それは――」

彼氏君が言い終わる前に扉がドンドンドンドンと執拗に叩かれた。
しまった、うるさかったか。

「やばい、管理人さんかもしれない。隠れて!」

扉を開けると、そこにはお隣さんがいた。
しかし、表情は険しい。

「ああ、ちょうど良かった。今ね――」


「……シッテルンでしょ?」


その感情のこもっていない声。
冷たい表情。
現実感のない存在。
紫色の唇。
尋常でない雰囲気に固まり、私たちは次の言葉が出ない。


「ねェ、どこ? どコにかクしたの? どこニかくしタの? ねええ。ネええエええ」


怖い。
彼女の口と言葉が合っていない。
口が開いたままなのに、何でこんな音が出せるの?
スローモーションの動きと早送りの口調、そんな状況を理解できるだろうか。

滑るように私たちに近づく。
彼女の顔が近い。
ねっとりとした口調。
口に何かがつまっているような。
彼女が体を動かす度に、ねちゃりと嫌な音が聞こえる。


「ねえええええ、わたしのおおおおおおおぉおおぉおぉぉ、どこおおおおおおおおおおおおおおお」

首がカクカクと振れる。
壊れたプレーヤのように言葉が、音が伸びる。

その時、トイレの扉が開き、隠れていた彼氏君が廊下に飛び出した。

「うわああ!!!」

私たちを置いて逃げ出す彼氏君。
酷い。
だがお隣さんの目標は変わったようだ。


「まァってよおおおおおおおおまってよおおおおヲをヲヲヲウォオヲヲおを。モウダイジョウブだからあああ、モウイナイからああ。かえろおおねえかえろおおおおよおおヲお。ずっとイッしョっていっタァああア。ずっとずっとずウウウウウウウウウウっと」


粘つく声。
音程のおかしな声。
ひねる様に体を動かしながら、またも滑るように移動する。

とっさのことだ。
私たちもその姿を追いかける。

廊下を走る彼氏君。
エレベーターはすぐには来ない。
避難する場所はない。

彼氏君は壁伝いに逃げ、手に当たったドアに手をかける。
そこは私のお隣さんの部屋。
つまり、彼氏君の元彼女の部屋だった。
鍵は掛かっていなかった。

ドアを開けた光景、状況を忘れることが出来ない。
扉の内側から黒い小さな大群が雲の様に廊下に飛び出す。
わーんという音と共に視界を遮る雲。
足がたくさんある小さなムカデのような虫が何匹も廊下を這う。
蝿と小さな虫が溢れかえる。

凄まじい臭いが廊下に充満する。
吐き気を催す、臭い。
何かが腐った臭い。
まさか。

彼氏君の絶叫を聞き、私たちはそこに何があるのか理解した。
先ほどまでのお隣さんは居なくなっていた。
だが、お隣さんはその部屋にいた。

ずっといた。



警察の方の話によると、死後相当の日付が経っていたと言う。
お風呂の中。
カミソリ。
夏の暑い日の密室。
これ以上は言うまでもない。

「リンスちゃん、終わったよ。帰ろうよ」

「ユウちゃんって結構凄いね」

「なにそれー、どういう意味?」

「だって何日も壁挟んで死んだ人と一緒に暮らしてたんだよ」

そういうリンスちゃんは、私の部屋の隣で彼氏とチチクリあってたんでしょ。
思うだけで口にはしなかった。

第一発見者の一人である彼氏君は事情聴取が出来ない有様だという。
私たちは時には隣人の部屋で、時には自分の部屋で、時には警察署で、色々なところで色々なことを聞かれた。

清掃会社の人たちが彼女の部屋をキレイに片付けた後、お線香を焚いていた。
やっぱりこういうことはちゃんとするんですね、と素直に感心して口に出した。
お線香には形式的な意味ではなく、実質的な意味があるのだという。

「元々、お線香はご遺体の臭いを消すために作られたんですよ」

そう説明してくれた。


お線香の匂いが漂う。
お線香の本来の役割。

それを思い出すと、今でもぞっとする。
怖いサイト.com
ベストヒットナビ
感想・雑談はコチラ
もっと探す@AB
[戻る]
- mono space -