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"牢屋"に戻り、背広を脱いでネクタイを外し、布団に寝転がる。

和風に作られたこの部屋には、卓袱台や布団といった、寝泊りするのに必要最低限の物だけが備えられている。
それだけでも――窓が無いことを除けば、ここは案外快適な空間だ。
滅多に使われることは無いだろうが、掃除もキチンとしてあり、意外なほど清潔感に溢れている。

私は天井を見上げたまま、ズボンからペーパーナイフを取り出し、目の前に掲げる。
こんなものでも、人の命を奪うには十分なものだろう。

これが武器だ。私の武器。
これで、大切なものを守るのだ。
これで…これさえあれば――

「汐崎部長?」

突然声を掛けられ、私は布団から起き上がる。
私「…本部長」
いつの間にか、部屋の入口に高城本部長が立っている。
私は慌てて、ナイフをズボンのポケットに仕舞う。

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高城「ノックしたのですけど…もう、お休みでした?」
私「いえ、ちょっと考え事を…」
高城「…そう」

本部長はそう言うと、靴を脱ぎ、部屋に上がってくる。
何気ない仕草。しかし私はそこに、いつもとは違う色気を感じてしまう。
しなやかに伸びた足――今日は網状ではなく、普通のストッキングを履いているその足も、やけに魅惑的に見える。

私はそこに見惚れそうになるのを抑えながら、彼女に座布団を勧め、お茶を淹れる。
高城「具合はどう?」
私「具合…?至って健康ですよ」
高城「そう。良かった」

ここにきて、まだ1日目が終わったところだ。
それだけで健康を崩すわけも無い。
…少なくとも、身体の面での健康は。

私「…どうぞ」
彼女の前にお茶を出す。
高城「ありがとう」
そう言って、素直にお茶に口をつける本部長。

…何とも無防備なものだ。
自分のしたことを、何とも思っていないのだろうか?
脅迫し、殴りつけ、気を失わせて連れてきた相手に対して、この警戒心の無さは…?

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…おそらく、私のことを舐めているのだろう。
何もせず、ただ従うだけだと思っているのだろう。
どうせ、何もできやしないと…。

そもそも…この状況は何だ?
私はこれでも男だ。
そして彼女は1人の女性。
それもかなりの美人で、魅力的だ。
それに加え、挑発的な…誘っているかのような格好、仕草をしている。

奥まった場所にある部屋。窓の無い密室。
定時も過ぎ、他に人が来るとは思えない時間。
そして、私の後ろには布団があって…

こんな状況で、危険を感じないのだろうか?
敵対している相手を目の前にして、平然とお茶を飲んでいるが…何も考えていないのか?

…いや、考えているだろう。
ただ、私を男として”下”に見ているのだろう。

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私は、女性に乱暴しようとは思わない。
娘がいる身としては、尚更だ。

…しかしそれにしたって、私は男なのだ。
彼女だって、自分の魅力は知っているはずで、普通の男がそれを見て何を考えるか何て――

高城「汐崎さんでも…」
私「…はい?」
不意に声を掛けられる。

高城「そういう目をするのね」
目…?今、私はどんな目をしていた?
高城「初めてじゃないかしら?私のこと…そういう目で見てくれるの」
私「…」
…あぁ、そういうことか。そんな目をしていたか、私は。
それはそうだ。当たり前だろう。よからぬ事も考えてしまうさ。

だが、はっきりと言っておこう。

私「すみません。…でも、ちょっと違いますよ」
高城「違う?」

私「えぇ。私は、あなたを憎んでいるだけです」

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高城「…」

言った。私は、言った。
心の中に、黒いものが渦巻く。
彼女は敵だ。決して信用のできない、敵だ。

高城「そう…」
本部長の顔が曇る。一瞬だけの、悲しげな顔。
以前にもそんな表情を見た気がする…?いや、もうどうでもいい事だ。

私「私は、見張られていたのでしょうね」
高城「…そうね」

私があの学生…神尾美加と会ったことは、すぐに往来会に知れた。
その理由は、簡単なことだ。
私は見張られていたのだ。
要注意人物として。

私「上の人間に、私について報告したのでしょうね」
高城「えぇ…」

これは当然だ。本部長の立場上、当然しなければならないことで、そこは責めてはいけない。

…と、頭では分かっているつもりだが…!

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私「相談なんてしなければ良かった…」
高城「…」

あれさえ…あんなことさえしなければ、こんな事態にはならなかったのだ。
あそこから狂ってしまったのだ。
どこにもぶつけようの無かった怒りが、フツフツと湧いてくる。

私「何故…」
私は立ち上がり、座ったままの彼女を見下ろす。
本部長が嫌う行為だとは知っているが、あえて、だ。
私「何故報告を?あなたに、何の得が!?」
私はポケットに手を入れ――ナイフを握り締める。

高城「…」
本部長は何も言わず、俯いている。
黒いものが…心が、染まっていく…

私「なぜですか!?」
言いながら、私は本部長の傍に歩み寄る。
そして俯いて座ったままの彼女の横に立ち、その首筋を見つめ、”狙い”を定める。
突如として高まってきた激情は、抑えられそうにもない…!

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私「本部長…何か、言ってください…」

ジッと彼女を見下ろしながら、呟く。
そして返事を待つ。

…私は返事と同時に、彼女の首にナイフを突き立てるつもりだ。
どんな言い訳をしようと、本部長のしたことは…許せない…

私「本部…」
高城「食事はしたの?」

私「…は?」
何?食事?

高城「キチンと食べるように、って…真奈美ちゃんからの伝言よ」
私「真奈美…?」
なぜここで、真奈美の…

…と思っていると、本部長がスッと立ち上がる。
高城「報告したのは、義務だからよ」
私「義務って…」
義務?それくらい、分かっている。
分かっているが、私達はそれで…

高城「…後悔しているわ。ごめんなさい」
そう言って、本部長は深々と頭を下げる。

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予想もしなかった事を言われ、真奈美の名前を出され、開き直られて、謝られて…私は少し混乱してしまう。

私「いや、そんな…」
高城「私の用事はそれだけよ…」
本部長はそう言うと踵を返し、部屋を出て行こうとする。

私「あ…謝られたって、この状況は…!」
高城「私を殺しても、変わらないわよ」
私「…」
高城「他の人でも、そう。それじゃ、悪いようにしかならないわ」
私「そんなこと…」

…そんなことは、分かっている。
分かっているのだ。
でも、私は他に何をすればいい?
こんなところに閉じ込められて、何ができる?
どうやって娘を守れる?
真奈美を、どうやって…

靴を履き、部屋を出て行こうとする本部長を見ながら、私は苦悶する。
…と、そんな私に、彼女が言った。
高城「真奈美ちゃんは、私が守るから…」

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…何?

高城「約束するわ」
何を言っているのだ…?

私「…それを信じろと?」
連れ去ろうとしていた人間が、今更何を?
私の家で、お前たちが何をしたのか…しようとしたのか。
真奈美を連れ去ることは止めたらしいが、そんな簡単に言われて、はい、お願いしますと言うとでも思ったのか?

…それとも、これは脅迫か?
以前にも真奈美のことで脅されたが、そういうことなのか?
娘はこちらの手の内にあると、そう言いたいのか…?

高城「信じなくても良いわ」
そう言って扉を開ける本部長。
私「…」

高城「私が勝手に、そうするだけだから…」
最後にそう言い残し、彼女は部屋を出て行った。

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…本部長が部屋を出て行ってからも、私はしばらくの間、その場に立ち尽くしていた。

意図が分からない。
本部長は、いったい何を考えているのだろう…。
なんだかまた、心にポッカリと穴が開いたような感じがする。
先ほどまでそこにあった、黒く渦巻いていたものは、すでに消えている。
まるで、そこから抜け落ちていったかのように…。

「汐崎さんのこと、心配してくれたんですよ。きっと」

神尾美加の言っていた言葉が思い出される。

私だって、そう思ったさ。

しかし、そう思って話をしようと思った矢先…私は殴られ、ここに連れてこられたのだ。
そりゃ、手を出したのは藤木だが…本部長も一緒だったのだ。
そこもまた、良いほうに考えるべきなのか?

あれは何か…事情があったと?

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神尾美加なら、きっとそうも考えるのだろう。

でも私は…私だ。
娘のいる身で、そこにも被害が及ぼうとしているのだ。
良いようにだけなんて、考えられない。
最悪のケースも考えていないといけない。

だが、もし――?

…か。

ハァ…と、ため息を付くと、私はポケットからナイフを取り出す。

何だろうな、これは。
武器?何のための?
何の役に立つ?これが何を生む?
私はナイフを持って、強くなったとでも思ったのか?

くだらない…!
私は部屋の隅にそれを投げ捨てる。

もっとちゃんと…感情的にならず、落ち着いて考えなければ。
ここからどうすれば、この事態に収拾をつけられるかを…。
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