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再び目を覚ましたとき、既に異常は始まっていた。

目を覚ました――と言っても、意識はまだ混濁しており、強烈な眠気と身体のダルさが、私を支配していた。

目の前がクラクラして、視点も定まらない。
眠気を覚ましたくて頭を強く振ってみると、逆効果だったか、吐き気に襲われてしまう。

…それでも私は、何とか上体を起こす。
今、隣に倒れている真奈美ちゃんのために。

この子を守らないといけない。
それが、私の約束――。

でも、立ち上がろうにも足に力が入らない。
手の甲を強くつねってみると、その痛みに少し気が戻るけど…すぐにまた、自分がどこかに行きそうになる。

もっと何か…強い刺激を…

そう思い、グニャグニャに歪む部屋の中を見渡す。

…そして、部屋の隅にソレを見つける。
それは、汐崎さんがあの時持っていた、ペーパーナイフだった。

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私は身体を引きずるようにして、ナイフの元に向かう。
そして――途中、何度か意識を失った気もするけど――何とかそこに辿り着き、それを右手で握り締める。

きっと、1度だけ。
中途半端になると、2度目からは本能的に力を抜いてしまうだろう。
良い?一撃で、意識を覚醒させるのよ?
自分にそう言い聞かせ、ナイフの切っ先を左手の甲に当て…一気に体重を掛ける。

――ドスリ、と鈍い音。

横になったままの体勢だったけれど、体重を乗せて突き刺したナイフは、左の手のひらを貫通し、下の畳に達した。
そこから更に、歯を食いしばり、ナイフを引き抜く。

私「…っ!!」
声にならない嗚咽が漏れる。
かつて無い、強烈な痛み。出血。目の前がチカチカする。

…でも、成功だ。
意識は戻った…とりあえず、だけど。
後は何とかして、急いでここから逃げなきゃいけない。さもないと――

私は左手にハンカチを巻いてから立ち上がり、まだフラフラする足取りで部屋から出て、確認する。
目が覚めると同時に気付いた、その異常。その音。その…熱気。

――辺りは、火の海だった。

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なんてことを…。
ここまでする必要なんて、あるの?
普通に殺せばいいじゃない。桐谷達夫みたいに。

それとも、何?
私が魔女だって言うの?魔女だから、火炙り?
本気で…副会長は、本気でそんな事を?
それにしたって――

…と、考えていても仕方ない。
今は逃げないと、本当に焼かれてしまう。
携帯で助けを…と思ったが、私は今持っていないし、真奈美ちゃんのものであろう携帯は、真っ二つにされて部屋の床に転がっている。
それにそもそも…ここは電波が通じない可能性もある。
あの副会長なら、そこまでするだろう。

私はヨロヨロと真奈美ちゃんのところに戻り、彼女の様子を見る。
…眠ったままだ。
藤木の言う通り、叩いても朝まで目を覚まさない?
きっと、そうだろう。

あの布――私の顔に当てられた、あの布の香り。
明らかに、危険なものだった。まともに吸い込んでいたら、そのまま死んでいたのでは、とすら思う。
もし真奈美ちゃんがあれを嗅いでいるのなら…、彼女は昏睡状態とも言えるだろう。
もしそうなら、起きても直ぐに歩ける状態ではないだろうし、実際には、何をしようとも決して起きないだろう。

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とにかく、今は外に…。
私はそう思い、真奈美ちゃんを背中に背負う。

…この子が体重の軽い子で良かった。
ダイエットとか、頑張っているのかな?
無事に外に出られたら聞いてみよう、なんてことを思う。

廊下に出ると、強烈な熱気に襲われる。
頭がまだクラクラする上に、この熱気はキツイ。

…でも、だから何?
ここで倒れている?
煙を吸って、意識を完全に失うのを待つ?
そうやって、焼け死ぬのを待つ?

冗談じゃない――

私はおぼつかない足取りで、長い廊下を歩き始める。
燃えているのは主に壁際で、廊下の中央は比較的、まだ安全だ。
意識が少し定まらないまま真奈美ちゃんを背負っているので、足元には気を付けないと。
この状態で倒れたりしたら…もう、起き上がれないかもしれない。

…そういえば、火災報知機が鳴っていない。
それに、消防用のスプリンクラーも作動していない。
まぁ…当たり前かな。それくらいの準備は、しているわよね…。
私はそんなことを思いながら、少しずつ歩みを進める。

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きっと今に、消防隊が駆けつける筈。
残念だったわね、副会長。
あなたの目論見通りになんて、いかないわ。

長い廊下を、真奈美ちゃんを背負いながら少しずつ進む。
気が抜けて倒れそうになったら、左手をギュッと握り締める。
そうすれば手の中で痛みが弾けて、良い気付けになる。

大丈夫…。絶対に、大丈夫。助かるからね…。

息苦しくてちゃんと声が出せないけど、小声で真奈美ちゃんにそう伝える。
この子の背中に火が移っていたりしないかが不安だったので、時折体勢を変えて様子を確認しながら、私はゆっくりと歩いていく。

まったく…長い廊下…。
この状態で、外に出るまで…私の体力は持つ?

…平気。
この子を背負っている限り、いくらでも力が出そう。
廊下を歩くだけよ。
一歩ずつ歩いていくだけ…。

そう思った時、私の耳に救いの音が聞こえてくる。

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――サイレンだ。

聞き慣れた、消防車のサイレン。
誰かが通報してくれたみたいだ。

少しホッとする…けど、必ずしも安心はできない。

恐らく、外に居る誰か――きっと副会長の部下が、こう言うだろう。
「中に人は居ません」と。
だから、外からの助けは望めない。
そう考えるべきだ。

…でも、平気。
きっとこちらから、外まで出られる。

意識を完全に失わずに済んだのが、本当に幸いだった。
意思の力の勝利よ。
真奈美ちゃんを…汐崎さんを、2人を想う力の勝利。
副会長に、思い知らせてやる…。

私は更に、足元に気を付けながら歩みを進める。
そして、もうすぐ曲がり角に――

――というところで、顔を上げた私は愕然とする。

そこには炎を上げる、あるはずの無い"壁"がそびえ立っていた。

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何で…?

行き止まり?
そんな訳がない。
宿直室への廊下は、これ一本。間違えようが無い。

まさか、幻覚…?
そう思った私は、熱気の中、何とか目を凝らして見てみる。

…それで分かった。
私は、全身の力が抜けるのを感じる。

机だ。
会議室の長い机。
それが、廊下を塞ぐように横向きに…しかも何列にも、何段にも積み重ねて置いてある。

そんな…

万が一?
それとも、ここまで逃げてくることを見越して?
私に、絶望感…敗北感を味わわせるため?
あの副会長ならやりかねない。
私を憎んでいた、あの副会長なら。

何てこと…

私は、その場に立ち尽くしてしまう。

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私には、何列にも並べられ、積み重ねられた会議室の机を動かす力なんて、無い。
しかも、燃え盛っているその机を。
そんなの、男の人が何人も居ないと無理だろう。

では、完全に燃え尽きて、自然と崩れ落ちるまで待つ?

…ダメだ。
そんな時間、ここに居たら…確実に死んでしまう。

こちらは、既に意識が朦朧としている。
手の痛みも麻痺してきてしまった。

煙を吸い込むまでも無く、気を失って…炎に包まれて終わり。

外にはきっと、大勢の野次馬と消防の人達が居るだろうけど…助けを呼ぶような大きな声なんて、出せそうにも無い。
息苦しくて喉が痛くて、小さな声すら出すのが辛い。
そもそも…この炎の中、どれくらいの声を出せば外まで聞こえるの?

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私はその場に座り、背中から真奈美ちゃんを降ろして横たえる。
そして上体を抱き上げ、彼女の頭を胸に抱く。
…辺りに立ち込めてきた煙を、吸ってしまわないように。

ここで、諦めちゃいけない…。
彼女を抱きかかえながら、そう思う。

…でも、私達を取り囲む炎が、絶望感を煽り立てる。
一体…この状態から、どうすれば良いの?
何か考えないといけないけど、頭が上手く働かない…。

徐々に気も遠くなってくる…
背中が…体中が、熱い。

あ…真奈美ちゃんは、平気…?

私は彼女の体を、足の先まで確認する。
火が移ってきたら、消してあげないといけない。
最後まで…意識を失うまで、できることはやらないと…。

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私の夢は、もう叶わないかな…

真奈美ちゃんを見守りながら、そんな事を思ってしまう。
段々と弱気になってきて、心が折れそうになる…けど、なんとか繋ぎとめる。
私が諦めたら、この子が可哀想だ。

真奈美ちゃん…

彼女を強く抱きしめる。

ごめんね、真奈美ちゃん…
ごめんなさい…祐一さん…
私――…

涙が溢れてくる。
それはきっと、煙のせいじゃない。
彼に、自分の気持ちを伝えられなかったのが、残念だった。
このまま、何もできずに終わってしまうのが、悔しかった。

小さな子供のように、声をあげて泣きたくなる。
でも、それをグッと堪えて、私は祈る。

誰か、この子を助けてあげて。

私に約束を守らせて。

神様…神様…


お願い――

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――

「――では、少々お待ちください」

神尾美加を奥の座敷に通し、壷の説明――勿論、危険性を省いての説明をした私は、彼女をそこに待たせて部屋を出る。

そして自分の書斎に行き、金庫から壷の入った箱を取り出す。
…と、そこで部下からの報告が入る。

往来会本部が炎上した、と。

私は満足気に頷き、壷を持って神尾の待つ部屋へと向かう。

これで良い。
これで、全て終わる。

…往来会は、私のものだ。
そしてその私は、既に隠居を考える歳になっている。

私が退いた後、往来会はどうなるか?
…そんなことは目に見えていて、高城沙織が実権を握ることになるだろう。

それは――絶対に、許されない。

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私にとって最大の失敗は、私の後を継ぐ人間を育てられなかったことだった。

組織の中にはこれといった人材が居らず、汐崎真奈美に目をつけていたものの、彼女はやはり若すぎた。
ここにきてやっと、神尾美加という逸材に巡り合えたが…

それではやはり、遅すぎたのだ。

今から神尾を育て、彼女を高城のレベルまで引き上げるには、数年掛かるだろう。
その間、高城が何をするか…私の往来会に何をするか、そんなものは見ていられない。

ならば、どうするか?

…簡単だ。
往来会を、潰してしまえば良い。
邪魔者と共に。

私は神尾を育て、新しい組織を作れば良い。

それが私の計画の、最終目標だ。

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私は神尾の待つ部屋に入り、彼女の前に壷の入った箱を置く。
…ここは、慎重に行わなければならない。

私「この中に、先ほどお話した物が入っています」
神尾「…はい」
神妙な面持ちで返事をする神尾。
流石に緊張しているようだ。

…それもそうだろう。
彼女にとって、念願が叶うときが来たのだから。
しかしこれは、良い感じだ。
必ず上手くいく…。
私はそう確信し、箱の蓋に手を掛ける。

私「では、これから――」
声「――失礼します」

…と、そこで誰かが部屋に入ってくる。

誰だ…?

と思い、そちらを見る。
…するとそこには、事務の三島が立っていた。
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