呪いの本

高1の冬頃の事だったと思う。
その日A宅に行くと、家の主はソファに体を横たえて本を読んでいた。
俺は人並み程度には本を読むが、Aは時折昔の作家の全集を開くくらいだ。
何の本を読んでいるのか気になりタイトルを尋ねると

「呪いの本」

なんて答えが返ってきた。

「読んだら死ぬってか?」

好奇心と呆れ混じりに訊くと、Aはニヤニヤと笑いながらこちらに顔を向ける。
相変わらずどこに焦点を置いているか分からない目。

「死にはしない。けど、お前が読んだら寿命縮むんじゃない?」

そう言ってぱたりと本を閉じる。
見ればその本は装丁こそ立派であるもののさして厚くもなく、表題すらも書かれていない。
Aがああ言った以上、もとよりまともな本ではないのだが、それがますます怪しくなってきた。

「読むか?」

とん、と軽い音を立て、俺の前、テーブルの上に本が置かれる。

「寿命削れってか?」

とは言ってみたものの、興味はあるし特段長生きしたい訳でもない。
俺は本を手に取って意識を集中する。
・・・何も感じない。
何のイメージも得られない。
俺は拍子抜けしてAを見たが、彼女はニヤニヤと笑ったまま言葉を続けた。

「ああ。寿命削れるね。読めば。読む事が出来ればね」

俺には読めないと?安い挑発だ。
相変わらず何が言いたいのか分からないし。
そう思って、結局俺は本を開いた。
目が合った。
え、と思った。
本を開いた瞬間俺の視界に飛び込み、そうして視界を埋め尽くしたのは眼。
あまりに突然で唐突だった。
開いた本のページは見れない。
何が書いてあるか分からない。
一対の眼が見せてくれない。
眼は俺の顔の間近にあり、俺の目はその眼だけを視界に映していた。
存在する霊なのか俺の感覚に引っ掛かったイメージなのか分からない。
霊であるようにもイメージであるようにも見える。
だが、そこに気配はない。
存在するという現実感のない一対の眼は、イメージであるという実感のない凪いだ瞳は、ただただ俺の目を見続ける。
なんだこれ。
ぱし、ぱし、と一対の眼は瞬きをする。
背筋が粟立つ。
・・・そこに居る。
ヤバい、ヤバい、ヤバい。
さっきまでイメージであるか霊であるかも分からないような、現実感のないその瞳が気配を持ち始めた。
絵のように平面的で希薄だった存在感が唐突に実体を得た。
立体的な、確かにそこにあるという実感がある。
また瞬きを1つ。
俺は目を離せない。
一対の眼は徐々に現実感を増していく。
まるで現実を侵食していくように。
来るな、来るな、来るな、来るな。
けれど、目が離せない。
目が奪われる。
徐々に現実感を増していく、一対の眼に。
ヤバい、ヤバいと思ったところで・・・
ぱたん、と。
・・・音がした。
気付けば一対の眼は消え去り、俺の視界に映るのは閉じられた本と、本を閉じた自分の両手だった。
それを見て俺は俺が本を閉じたことを知った。

「読めなかったな」

Aは強張った俺の手から本をひょいと奪い去り、ニヤニヤと笑いながら言った。

「・・・なんだよ、あれ。今のが呪いか」

まるで現実になっていくような一対の眼に、寿命が縮んだような思いがした。

「いいや?呪いじゃない。中身読んでないだろ?」

Aは何でもないようにパラパラとページを捲り、背表紙に近い所を開く。

「ブックカース。この本を侵す者に災いあれ、ってな。本を盗んだりとかしたやつに災いが訪れるように願う呪いだ・・・こう書くんだなぁ」

Aは私も実際に見るのは初めてだ、と言って本に眼を落とす。
未だに手が強張り、緊張したままの俺はAの軽い口調に苛立ちを覚えた。

「じゃあさっきのはなんなんだよ」

「さあて・・・ただ、中身は日記だよ」

「・・・日記?」

誤魔化されたと感じたが、言われてみればその本は高そうな手帳をそのまま大きくしたような装丁をしている。
でも、なんで日記なんだ?そう思ったところで、Aが口を開いた。

「それも、ただの日記じゃない。夢日記だ」

「夢日記?」

「そう。しかもこの日記を書いたやつは、魔術の実践者だ。儀式魔術のな」

ペラペラとページを捲りながら、Aは笑みを深めて話を続ける。

「因みに日記の最後にはこう書いてある。退去に失敗した、ってね」

そこまで言って、Aは笑い声を漏らす。

「なあ、意味分かるか?」

俺は首を振った。

「じゃあ、これだけは言っておく・・・夢日記なんて書くんじゃないぞ。夢の中の出来事を文章にして現実に持ち込むなんて、ろくな事になる訳がない」

それだけ言って、Aはまた本に熱中し始めた。
結局あの眼の正体はなんなんだと俺は訊いたが、Aは本から眼を離さずに、さあて、と言うだけだった。
彼女の目付きの悪い眼に何が映っているか、俺には解らなかった。
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